2010年7月19日月曜日

みんなの道は、私の道

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今日は、小濁の「道ぶしん(道普請)」。道ぶしんとは、道路のメンテナンスのことです。
メンテナンスと言ってもアスファルトを修理したりゴミを拾ったりすることではありません。
道の側溝をさらったり、路肩の草を刈り払ったりする作業で、夏は恒例の草刈りです。
このあたりの山では梅雨があけた今ころが夏のピークです。
今日は、小濁集落の全住民と、田んぼや家がある縁の人達総出で汗を流しました。
今日は暑かった!!
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作業が終わると、お疲れ様会です。年に一度の顔合わせですが、昔の良き思い出に花が咲き、村を降りてはしまったものの、小濁を愛する気持ちがひしひしと伝わってきます。
奥深い繋がりを感じて、私などが仲間に入っているのが申し訳ないです。
でも、こうやって集まれることは、たやすい事では無いんです。


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この時期やはり、木苺が実ります。
沢山無いのですが、実がなる。というのがすごくありがたい気持ちがします。

さて、道というのは一言では言えない大切なものです。
道が無いと村と村を行き来できません。道が無いと米や農作物を運べません。道が無いと緊急の時にまごまごしてしまいます。
あたりまえなんですが、ものすごく大事なことです。
歩かない道は無くなります。
必要のない道はメンテナンスしなくなります。
使われなくなった田んぼ、畑、家、・・それらをつなぐ必要の無くなった道は見事に消えていきます。

山の田んぼや畑が使われなくなると、山の保水力が落ちて、地すべり、土砂災害・・山が荒れ、動植物の豊かな生態系も崩れていきます。
生活に不便な山を離れる人は少なくありません。高齢化が進み、人が住まなくなって、道もいらなくなり、こうして道ぶしんをする必要が無くなってしまう日がいつか訪れるでしょう。(きっとその時には下流の平野、その先の海。そこにある街、そこに住む人は、豊ではないだろうと想像します。)
私は、この小濁はそうしたくない。
小濁ばかりでなく、農によって守られてきた新井南部の山里は、この地域にとってとても大事なもの。
私は勝手にそう思い込んでいます。

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