2010年7月4日日曜日

食べ物を捨てるなんてもってのほか


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Originally uploaded by neochef
古民家をサイコー(再生)することで気づいた事が山ほどあります。
その一つ、ゴミ。その感覚が大きく変わりました。

これも郷土料理研究で考えた事なんですが、昔の暮らしでは、身の回りのものを上手に使った。というより、わざわざ買うこともなく、利用することが当たり前だった。
米や野菜を作り、山菜と採り、川の魚や貝を捕る。
木や竹や藁や土、植物などで、家から道具、衣類、なんでも作りました。

素材が天然のものだから、そこから発生する害も少なかった。そのため、不要になったものは、リサイクル、リユースするか、「川に流す」「山に埋める」によって自然に返るのが自然の事で、非常に優しく循環していたように思えます。
そんな習慣があるためなのか、文明の人工物が氾濫する現代に、”腐食しない物”の投機、放置の多いこと。

なんでこんなことになったんだろう??

私は古民家から出た可燃物ゴミ、埋め立てゴミを見て呆然としました。
庭を片付けては腐食せずに出てくる、空き缶、ビニール・・。(批判じゃないです。そういう習慣だった。んです。それに分かりきって始めました)
自然に戻らないものがありすぎる・・。
このゴミを処分するのにどれだけの人の手と施設と費用が係るんだろう・・。
それに、これを地球のどこかに埋め直して地球が喜ぶだろうか?
実感しています。なぜなら、仲間と古民家サイコー(再生)で、3ヶ月かけた成果が、”ゴミがようやく片付いてきたこと”に尽きるからです。

それは、普段の生活を見直すことになりました。
「処理にコストの係るゴミを出したくない。そんなゴミが出るものも買いたくない。」
頭では解っていたけれど、小濁の自然の生活空間の中でそれを体験することのリアルなこと。
それより、なんでもっと身の回りにあるものを使っていけないものなのか?
不用品をもらったり、交換したりすることが、財布に優しいばかりでなくものすごく良いことをしているような気がしてなりません。
1.捨てられて処理する(埋め立てる)費用と環境の悪影響が緩和された
2.新たに製造するための環境破壊や資源の消耗が緩和された
消費の減少による経済に影響ある?・・でも、本来、不要なものを消費しようとしていたなら問題ないです。

さて、食べ物も同じだと思います。
なぜ、人は文化と呼んで、ものすごい遠い地域から食べ物を運んできて消費したいのでしょう?
珍しい食べ物は嬉しい反面、ちょっと度が過ぎていませんか?何でもかんでも買うことが当たり前。
食材以外にも、加工品、料理として。(あくまでバランスと質についてですよ)
「時間が無いから」「買うほうが安いから」「手軽で美味しいから」・・そうでしょう?

もっと作りませんか?食も、料理も。
作ると学べます。「なんで買うと安いのか」「喜んで消費していたものが安すぎないか?」も。
それに、身の回りのものを食べませんか?山菜でも草でも。自分で食べるだけのものなら、そう怒られはしません。家庭菜園もいいし、人から出来すぎて要らなくなる野菜を、大喜びでもらおうではありませんか。あくまで私感ですが。

ところでゴミの話しですが、食べ物がゴミになる事ってありますよね。
それも、時間が無いから、買うほうが安いからと言って、買ってきた食べ物。宴席の料理。
私は少し前まで、「あなたが食べなければ死ななかった命がある」から、食べ物を残す事は良くないんじゃない?と、言える人には言っていました。
「人間様に食べてもらうために産まれてきた動物は食べられる事で本望」という農家の話しに感動したこともありました。それでも、嫌いな物は無理して食べることは心身に良くない。とも思っていました。

小濁でゴミをどうにかしなくてはならなくなった経験でまた一つ覚えました。
捨てる事で無駄なエネルギーが何倍も失われるのだ。ということ。

「食べ物に感謝しなさい!戦時中は・・・」というのは昔の人の口癖だったそうですが、こんなに環境問題がささやかれる現代で、食べ物を捨てるなんて断じて許されることでは無いと思うのです。
私は仕事で食べ物を沢山捨ててきました。もう戻りたくありません。

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