フルネームと屋号…覚えることが多い
例えば「太郎さん」…のように”下の名前”で呼ぶのが田舎の特徴。理由は単純で地域に同じ苗字が多いからだ。 小濁ではほぼ「今井」か「山崎」。ここで「山崎さんから教わった」という会話は役に立たない。集落や町内という単位で呼び合うそれぞれの家の名前=「屋号」は小濁でも健在。知らないと会話についていけず、よそ者が溶けこむには時間がかかる。 小濁の現在の住人の屋号は「なか」「十二の木」「よそざいむさ」「大下」「もち田」。ちなみに窯を作っている所は「いけのはた」、古屋を直している家は「えんきょ」というらしい。
小濁の古道を歩く
長い冬が明けたこの春、草や葉が生い茂る前の5月中旬のこと。小濁から板倉に抜ける道を歩いた。そこはもう30年も使われていないという古道。「いくさの神様をまつった社の先を」「少し行くと沼があって」「松を植えた土塚が目印」・・八十をこえる、よそざいむさのじいちゃんが教えてくれた。 それを頼りに、山を越えて小さな沢を渡り、現在廃村となった板倉区の大池新田(やすらぎ荘の上)に抜けることができた。 さらに一本。なだらかな林を抜け田んぼが見事な飯喰沢集落へたどり着いた。 当時これらの古道は、現在は舗装済みの坪山や大濁(妙高市内)と繋がる農道と同様に、近くの村に暮らす人々の生活に無くてはならない幹線道路だったはずだ。 「飯喰沢から吉木を抜け、新井駅まで歩いた」という話を何度も耳にしたが、車が通れないこれらの道は、遠の昔にお役ごめんとなってしまった。
蘇る記憶と交流
飯喰沢で畑をしているお年寄り夫婦と話をする機会があった。 「小濁で活動しています。小濁から歩いて来たんですよ」。すると、「あ〜そうかねぇ。じょんのきのしょ元気かね?さるかんじに縁あるだろ?」。なんのことやら返答できず、後に解った。じょんのきは屋号で十二の木。さるかんじは板倉の猿供養寺。
地図から消えそうな道のたどり着いた先に、わずかに残る人の記憶、そして土地でしか使わない言葉があった。 マイカーやインターネットで”距離感”や”繋がり”がずいぶん変わった。 一方で、ごく身近で無くなっていくものを目の当たりにして感慨深いものがあった。 ご近所づき合いならぬ、ご近村づき合い。新たな交流の時代はやってくるのだろうか、想いをめぐらす。
春にはかろうじて歩ける「旧道小濁大池新田線」と「飯喰沢へ抜ける道」をGoogle Mapに落としてみた。(下記リンク先から”Earth”ボタンをクリックして閲覧)
- 小濁古道マップへ(Google Mapにリンク)http://goo.gl/maps/cTYY
去年、お山の仕事で飯喰沢〜吉木間の林道草刈りをしました。
返信削除その道が古道か森林整備のために作られた道なのかはわかりませんが・・。
大池新田でも仕事しましたよ。
そこの地主の爺さんは、「先祖は坪山に住んでて、大池新田に来て、今は針」って言ってました。
実家の屋号は、「よそべさ」。
家系図なる物を見ると、古い時代の人は皆、名前が「よそべえ」です。
だから「よそべさ」だそうです。そんなん本当か?
あっちゃぁ、灯台下暗しとはこのこと。
返信削除飯喰沢〜吉木ってのは、そうかもしれないね。カックん